駅名 富山貨物駅
旧漢字 富山貨物
よみ とやまかもつ
歴かな とやまくわもつ
所在地 富山県富山市下赤江中摺15
電報略号 トカ(カナトカ)
事務管理コード
貨物取扱駅コード 5737
鉄道事業者 日本貨物鉄道株式会社・あいの風とやま鉄道
所属路線 あいの風とやま鉄道線
乗入路線 あいの風とやま鉄道線
キロ程 あいの風とやま鉄道線 倶利伽羅起点 44.4km
(北陸本線 米原起点 238.8km)
名所案内標記載事項(国鉄営業局昭和30年4月)
当時未開業。
歴史
1940年(昭和15)4月 東岩瀬臨海工業地帯造成事業の開始に伴い、富山~東岩瀬間に操車場を建設する計画が浮上する。
1943年(昭和18)7月 富山~東岩瀬間に32.3万m2の敷地を買収し、操車場の建設を開始する。この頃、操車場建設に供する土砂運搬のために、常願寺川左岸河川敷まで国土交通省立山砂防工事専用軌道と同様に軌間約610粍の人車軌道が敷設された。ただし、戦時のため1944年(昭和19)に至り工事は中断する。
1948年(昭和23)12月24日 富山県議会が富山操車場設置促進に関する意見書を採択する。
1954年(昭和29)より再び着工する。
1955年(昭和30)10月1日 国鉄北陸本線の富山操車場として開設。その一部利用を開始する。この時点での操車能力は、1日に400輌であった。
1956年(昭和31)11月10日 第一期工事が完了し、同日午前9時35分上り青森発大阪行機関車先頭に「祝富山操車場完成」の紀念幕を掲げ新線を走らせた。また富山操車場~富山駅間が複線化する。
1958年(昭和33)4月10日 東富山駅~富山操車場~蓮町駅間延長4.7kmの貨物支線が開業。非電化。同路線の開業により、従来富山駅を経由して運輸されていた富山港発着の貨物は、直接当操車場へと入るようになった。
1958年(昭和33)4月26日 第二期工事が完了し、1日に2500輌を取扱い得る抱込式ハンプ操車場として日本海縦貫線の基幹操車場となる。これにより敷地面積は33万m2、線路総延長は56,000mとなる。
1960年(昭和35)12月3日 富山操車場において貨物列車操車中に三重衝突の事故が発生し、3輌顚覆、8輌脱線の被害があったが、死傷者はなかった。
1963年(昭和38)1月19日 三八豪雪により当操車場の機能の全部が停止状態に陥る。
1965年(昭和40)7月30日 富山操車場~東富山駅間が複線化する。
1970年(昭和45)3月27日 富山操車場においてリニアモータ方式貨車加減速装置の試験に成功する。
1970年(昭和45)6月5日 当操車場において貨車入換作業のため用いられていた9600形蒸気機関車(9628)の運用を廃止する。同機関車は退役後、富山市に無償で貸付けられ、富山城址公園に設置される。
1970年(昭和45)9月 東富山駅~富山操車場~蓮町駅間の貨物支線において蒸気機関車による運輸を廃止し、ディーゼル機関車による運行を開始する。
1984年(昭和59)1月31日 ハンプ作業を廃止する。
1986年(昭和61)11月1日 東富山駅~富山操車場~蓮町駅間の貨物支線が廃止。廃線跡は富山市市道城川原豊田線などに転用されている。
1987年(昭和62)3月31日 車扱貨物の取扱を開始して富山操(とやまそう)駅に昇格する。なお、「取扱期間及び取扱品目は駅頭公告したものによる」とされていた。
1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化により日本貨物鉄道の駅となる。また、1988年(昭和63)にかけて機能停止中の仕訳線撤去等の工事を行う。
1990年(平成2)3月10日 富山駅より貨物取扱業務を移管して、富山貨物駅に改称する。営業範囲を改正してコンテナ貨物及び車扱貨物の取扱を開始する。これに合せて1面1線の着発線荷役ホーム、仕訳線9線、解結線8線、コンテナホーム3面、車扱ホーム1面、散水消雪装置、融雪装置等を整備する。
2014年(平成26)6月17日 富山~東富山間に開設される予定の新駅が、当駅北側の下冨居地内に決定する。
2015年(平成27)3月14日 北陸新幹線長野~金沢間開業に伴い、北陸本線のうち倶利伽羅~富山~市振間があいの風とやま鉄道線となる。
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