駅名 東富山駅
旧漢字 東富山
よみ ひがしとやま
歴かな ひがしとやま
所在地 富山県富山市東富山寿町三丁目17-53
電報略号 ヒト(カナヒト)
事務管理コード
貨物取扱駅コード 5738
鉄道事業者 あいの風とやま鉄道
所属路線 あいの風とやま鉄道線
乗入路線 あいの風とやま鉄道線
キロ程 あいの風とやま鉄道線 倶利伽羅起点 48.2km
(北陸本線 米原起点 242.6km)
名所案内標記載事項(国鉄営業局昭和30年4月)
富山港 岩瀬浜海水浴場あり 北西3粁 バスあり
歴史
1908年(明治41)11月16日 官設鉄道北陸線富山駅~魚津駅間が開業し、上新川郡豊田村に東岩瀬駅として一般駅として開業する。これに合せて同年10月には駅前道路(現在の富山県道173号千原崎東富山停車場線)が完成していた。
1909年(明治42)10月12日 線路名称が制定され、北陸本線の所属駅となる。
1913年(大正2)10月17日 当駅構内の本線上で下り貨物列車と上り団体列車が衝突する事故が発生する(東岩瀬事故)。日本ではこの事故を教訓として安全側線の整備がすすめられた。富山市田畑の宝集寺にある「今庄団体遭難者追弔碑」は、この事故による犠牲者を弔うために建立されたものといわれる。
1926年(大正15)7月3日 当駅~水橋駅間に浜黒崎仮停車場が開業する。
1938年(昭和13)9月 駅前に不二越鋼材工業株式会社東岩瀬工場が設置され、県による東岩瀬臨海工業地帯造成事業の策定も相俟って、当駅は工業地帯への貨物駅と位置づけられ、当駅東岩瀬港間直通貨物線も着工されたが、戦火のため1944年(昭和19)8月操業開始の不二越萩浦工場以遠区間の完成には至らなかった。
1941年(昭和16)3月31日 都市計画富山地方委員会が、東岩瀬停車場線の幅員を21米に拡幅し、当駅駅前に0.24ヘクタールの広場を設定する旨を決定する。
1948年(昭和23)8月30日 当駅~水橋駅間の浜黒崎仮停車場が廃止される。
1950年(昭和25)5月20日 富山港線越中岩瀬駅の東岩瀬駅への改称に合わせ、東富山駅に改称する。
1958年(昭和33)4月10日 当駅~富山駅間から分岐し、富山港線蓮町停車場に至る路線において貨物運輸の営業を開始する。
1965年(昭和40)4月 跨線橋が完成する。
1965年(昭和40)7月30日 当駅~富山操車場間が複線化する。
1965年(昭和40)8月25日 富山操車場~泊駅間が交流電化する。
1966年(昭和41)12月3日 当駅~水橋駅間が複線化する。
1979年(昭和54)4月7日 当駅駅前に111台が収容可能な自転車置場を設置する。
1984年(昭和59)2月1日 営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止する。
1986年(昭和61)11月1日 当駅~蓮町間における連絡線において貨物運輸の営業を廃止する。
1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道・日本貨物鉄道の駅となる。日本貨物鉄道の駅は、車扱貨物を取扱う。
1992年(平成4)11月 みどりの窓口の営業を開始する。
1996年(平成8)3月16日 日本貨物鉄道の駅において営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を臨時化する。
1997年(平成9)7月10日 各種企画乗車券や航空券等の取扱も可能なマルスシステムを導入する。
1999年(平成11)3月28日 当駅構内のキヨスクが閉店する。
2000年(平成12)4月 夜間無人駅となる。
2013年(平成25)1月11日 当駅事務所の窓ガラスが何者かによって割られる事件が発生する。
2014年(平成26)6月17日 当駅~富山駅間に開業を予定している新駅の設置箇所が決定する。
2015年(平成27)3月13日 この日をもってみどりの窓口の営業を終了。
2015年(平成27)3月14日 北陸新幹線金沢延伸開業に伴い、JR西日本の駅はあいの風とやま鉄道へ移管。
2015年(平成27)3月26日 あいの風とやま鉄道の駅でICカード「ICOCA」供用開始。
2021年(令和3)3月28日 東口の供用開始。
2022年(令和4)3月12日 当駅~富山駅間に新富山口駅が開業。
|