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駅の歴史と名所案内 魚津駅 UOZU STATION

駅名 魚津駅
旧漢字 魚津
よみ うおづ
歴かな うをづ
所在地 富山県魚津市釈迦堂一丁目1-1
電報略号 ウヲ(カナウヲ)→ウオ(カナウオ)
事務管理コード 
貨物取扱駅コード 5740
鉄道事業者 あいの風とやま鉄道
所属路線 あいの風とやま鉄道線
乗入路線 あいの風とやま鉄道線
キロ程 あいの風とやま鉄道線 倶利伽羅起点 67.1km
    (北陸本線 米原起点 261.5km)

    

    
    

名所案内標記載事項(国鉄営業局昭和30年4月)
 蜃気楼(しんきろう)の奇観 初夏の候 富山湾上 南西2粁 バスあり
 蛍いか群遊地 天然記念物 初夏の候 南西2粁 バスあり
 たい網 初夏の候 南西2粁 バスあり
 魚津埋歿林 天然記念物 南西2粁 バスあり
 北山鉱泉 南東8粁 バスあり
 

 

 

歴史
1906年(明治39)7月19日 当時の魚津町議会議長が、下新川郡下野方村大字友道村(後の新宿)に停車場を設置するよう逓信大臣に請願書を提出。この際、敷地等の代金は魚津町が寄付すると提案している。後に鉄道院が魚津町の将来の発展を予測し、現在地での建設が決定する。
1908年(明治41)11月16日 官設鉄道北陸線富山駅魚津駅間延伸により富山県下新川郡道下村に終着駅として開業。一般駅。同時に直江津まで延伸するための鉄道工事用資材の運搬を主目的とした、現在の魚津港付近までの貨物支線(通称『信濃浜線』)開業。
1909年(明治42)9月 北陸線全通後の貨物支線における貨物運輸を見込み、魚津町長小野時男が鉄道院総裁後藤新平へ「魚津海岸線終端設備完成の件につき請願」と題した請願書を以てその整備を稟請するが認められなかった。
1909年(明治42)10月12日 国有鉄道線路名称制定に伴い、北陸本線所属駅となる。
1910年(明治43)4月16日 北陸本線が泊駅まで延伸。途中駅となる。
1911年(明治44)11月30日 魚津町が無償使用許可を得て人車軌道として運輸業務を行っていた貨物支線を院線に編入する旨、鉄道院総裁後藤新平に請願する。その請願書に曰く、「魚津駅ヨリ分岐セル海岸線ハ富直線建設材用材料運搬ノ為メ布設セラレタルモノニ可有之候ヘ共魚津駅停車場ノ位置ハ魚津町ノ北方道下村ニ在リテ市街ノ中央ヲ離レルコト拾八町ニ及ビ而カモ市街ノ地形ハ東西ニ長ク南北ニ短クシテ殆ンド蜿蜒ノ匍匐スル状ヲ為セリ殊ニ海陸ノ連絡ハ市中ヲ貫流セル角川尻ヨリ大町裏ニ至ル間ニ在ルヲ以テ貨物ノ運搬上不利不便尠ナカラサルヲ認ム」。
1914年(大正3)春 貨物支線廃線
1930年(昭和5) 国産肥料株式会社(1935年(昭和10)10月より日本カーバイド工業)の集積場を駅西側に設置し、同時に旧貨物支線跡に専用線(軌間2フィート)を敷設して、ガソリン機関車によって貨物運輸業務を開始する。
1936年(昭和11)3月14日 当駅共同使用契約を富山電気鉄道株式会社と締結する。
1936年(昭和11)8月21日 日本カーバイド工業株式会社専用線を3呎6吋に改軌し、富山電気鉄道に運行を委託して、国有鉄道貨物列車の乗入れを開始する。
1937年(昭和12)12月 日本カーバイド工業株式会社が貨物量増大に対処するため、鹿島参宮鉄道より蒸気機関車(独アーサーコッペル社製)を購入する。同機関車は1969年(昭和44)11月廃車となってより、1970年より魚津市立村木小学校→村木公民館、滑川市立児童館において静態保存されている。
1938年(昭和13)3月31日 日本カーバイド工業株式会社が同社専用線運輸業務の富山電気鉄道への委託を廃止し、爾後自営によってこれを運行することとする。
1947年(昭和22)11月1日 昭和天皇行幸あり、当駅貨物ホームにて米穀輸送状況を天覧し、駅長笠間藤正に対し運輸業激励の言葉を賜与する。
1948年(昭和23)5月 日本カーバイド工業株式会社が、その専用線を以て工場を囲む環状線を完成させる。
1952年(昭和27)9月 日本カーバイド工業魚津市商工会議所などの民間の協力を求めて、駅改築促進委員会を設立。
1953年(昭和28)11月 駅舎改築工事に着手。
1954年(昭和29)4月7日 2代目の駅舎(鉄筋平屋建て、建坪94.8坪、庇15.5坪)に改築。
1959年(昭和34) 構内拡張工事完成。
1965年(昭和40)8月25日 当駅含む富山操車場~泊駅間が交流電化する。
1968年(昭和43)8月9日 当駅~片貝信号場間が複線化する。
1968年(昭和43)9月27日 当駅~角川信号場間が複線化。
1969年(昭和44)6月17日 片貝信号場~黒部駅間が複線化。
1970年(昭和45)3月1日 特別急行北越の停車駅となる。
1974年(昭和49)10月1日 営業範囲を改正し、旅客、荷物及び車扱貨物を取扱う駅となる。
1977年(昭和52) 自動券売機設置。
1979年(昭和54) 魚津駅旅行センター開設。
1983年(昭和58)2月構内に「うまい水」を設置。
1983年(昭和58) 小荷物業務を北陸荷物へ委託。
1984年(昭和59年)2月1日 営業範囲を改正し、旅客、荷物及び貨物を取扱う駅となる。
1986年(昭和61)11月1日 営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃する。また、車扱貨物は専用線発着のものに限る。また、特別急行白鳥の停車駅となる。
1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化により、国鉄駅は西日本旅客鉄道日本貨物鉄道の駅となる。日本貨物鉄道の駅は、コンテナ貨物及び専用線発着車扱貨物の取扱を開始する。
1988年(昭和63) らーめんはうすまいたうん出店。
1989年(平成1)3月 特別急行雷鳥の始発駅となる。
1992年(平成4)1月9日 魚津市が当駅接続の専用線を廃止するように日本カーバイド工業に対し申し入れる。
1994年(平成6) 日本カーバイド工業魚津工場への専用線廃止。
1995年(平成7)1月20日 駅前と駅西を結ぶ地下道が完成。
1996年(平成8)3月16日 営業範囲を改正し、専用線発着車扱貨物の取扱を廃する。同時に自動車代行駅となり、富山貨物駅へのトラック代行輸送を開始する。
1997年(平成9)3月22日 越後湯沢行きの「はくたか」が初停車。北陸3県の歴史上初めて、陸路にて東京まで2時間台でアクセス可能な駅となる。
1998年(平成10)12月4日 駅前アーケードが完成し、竣工式を挙行する。
1999年(平成11)7月21日 魚津市長の石川精二が北陸新幹線のフル規格整備に同意し、スーパー特急による当駅乗入れを断念する。
1999年(平成11)12月16日 魚津市議会副議長の越川弥生などが北陸新幹線整備構想見直しに係る合同協議会座長の小里貞利に対し、フル規格による新幹線では当駅への乗入れが困難になるとしてスーパー特急方式による整備を求める。
2000年(平成12)9月26日 北陸新幹線スーパー特急魚津駅停車促進委員会がその総会にて北陸新幹線スーパー特急方式で整備し、当駅へこれを乗入れる旨を要望する。
2000年(平成12) きっぷの電話予約サービスおよびインターネットによる切符予約サービス開始。
2001年(平成13)2月17日 北陸新幹線スーパー特急魚津駅停車促進委員会がその臨時総会にて北陸新幹線のフル規格整備に同意する。
2001年(平成13)3月25日 北陸新幹線魚津駅乗入れ問題によりその整備に慎重的であった魚津市長の石川精二が北陸本線第三セクター化に同意し、富山県下全部の自治体がこれに同意する。
2003年(平成15)10月1日 魚津市市営魚津駅南駐車場が開業する。
2003年(平成15)11月1日 跨線橋の旅客用エレベーター、点字ブロックなどを整備するバリアフリー事業が完成する(富山県内では富山駅に次いで2番目)。
2005年(平成17)5月 魚津市議会に在来線等交通問題特別委員会設置。この時は、第3セクター運航開始後に第3セクター線の陸橋より西側に地鉄ホームや西口(新設)を結ぶ陸橋を新設して、第3セクター線と地鉄本線と相互乗り入れする案があった。
2006年(平成18)4月1日 JR貨物魚津駅が魚津オフレールステーションの名称を使用開始。
2008年(平成20)5月 在来線等交通問題特別委員会を在来線等特別委員会に名称変更。
2008年(平成20)10月27日 当駅コンコースにおいて埋没林の展示を開始する。
2008年(平成20)11月16日 魚津駅開業100周年記念行事を東口で開催。
2010年(平成22)12月24日 JR魚津駅富山地方鉄道新魚津駅の駅舎移設を盛り込んだ基本構想の素案が示される。
2015年(平成27)2月28日 ジェイアールサービスネット金沢運営の駅構内コンビニ『ステーションピット ちゃお』が閉店。
2015年(平成27)3月14日 北陸新幹線金沢延伸開業に伴う経営分離により、あいの風とやま鉄道の駅となる。
2015年(平成27)3月26日 ICカードICOCA供用開始。
2015年(平成27)5月3日 駅構内コンビニ跡地に、ますのすしの源運営の『魚源商店』が出店。
2016年(平成28)3月30日 駅舎南側に特産品販売・休憩施設の『ミラマルシェ』が出店。同時にアーケードの電飾看板も更新。
2017年(平成29)3月 せり込み蝶六をアレンジした到着メロディ「Uozu Chime」を導入。
2019年(令和1)6月23日:『魚源商店』が閉店。