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駅の歴史と名所案内 越中八尾駅 ETCHU-YATSUO STATION

駅名 越中八尾
旧漢字 越中八尾
よみ えっちゅうやつお
歴かな ゑつちうやつを
発音 エッチューヤツオ
所在地  富山県富山市八尾町福島50
駅番号 
電報略号 ツオ(カナツオ)
事務管理コード △540405
貨物取扱駅コード 
マルス入力コード カナツオ
マルスカナコード エッチュウヤツオ
鉄道事業者 西日本旅客鉄道株式会社
所属路線 高山本線
乗入路線 高山本線
キロ程 高山本線 岐阜起点 208.7km
     

 

 

名所案内標記載事項(国鉄営業局昭和30年4月)
 おわら節(八尾町) 風の盆 9月1日、2日、3日 駅付近
 角間(かくま)梅林 南2粁
 高熊鉱泉 南西2粁 バスあり
 本法寺 法華宗 重要文化財指定の仏画あり 南5粁 バスあり
 下の茗(したのみよう)鉱泉 南西6粁 バスあり
 山田温泉 西10粁 途中からバスあり
 

 

歴史
1910年(明治43)7月3日 鉄道院による路線調査を行っていた下呂温泉滞在中の技師を婦負郡八尾町長西田兵太郎が訪問し、飛越線建設に際して八尾町に線路を敷設する旨を陳情する。
1910年(明治43)8月27日 飛越鉄道期成婦負同盟会役員はこれを婦負郡古里村長沢まで出迎え、八尾町主催にて歓迎会を催行し、飛越線の当町通過について協力を要請する。
1911年(明治44)2月 婦負郡の22町村長連署の陳情書を貴族院および衆議院に提出する。
1920年(大正9)1月 飛越鉄道期成婦負同盟会の熱心な誘致運動を受け、政府提出の飛越線予定線路地図が富山より八尾、笹津、猪谷、古川を経て高山に至る路線に改正される。
1922年(大正11)4月11日 改正鉄道法別表第65号において「富山県八尾ヨリ福光ヲ経テ石川県金沢附近ニ至ル鉄道」の敷設が予定され、これにより分岐点として飛越線の八尾通過が最適とされる。
1923年(大正12)6月20日 鉄道省において調査審議を行っていた富山~八尾間の建設線路が決定する。
1927年(昭和2)9月1日 鉄道省飛越線の当駅~富山駅間が開通と同時に開業し、一般運輸営業を開始する。当駅の位置は当初、婦負郡杉原村黒田への建設が予定されていたが、その場合八尾町の中心より一里も離れることになるので、これを憂慮した八尾町長橋爪秀太郎および助役渡辺常太郎などが小長谷附近への変更を陳情した。その後諸般の事情を調査した結果、当駅は現在地である婦負郡保内村大字福島に開業することとなった。
1929年(昭和4)10月1日 当駅~笹津駅間が延伸開業し、途中駅となる。
1934年(昭和9)10月25日 線路名称改定により飛越線が高山本線編入され、当駅もその所属となる。
1956年(昭和31)6月1日 当駅~笹津駅間に東八尾駅が開業する。
1971年(昭和46)10月1日 営業範囲を改正し、貨物の取扱を廃止して、旅客、手荷物および小荷物を取扱う駅となる。
1974年(昭和49)10月1日 営業範囲を改正して、旅客および荷物を取扱う駅となる。
1977年(昭和52)8月17日 駅前に観光案内の看板を掲出する。
8月20日:当駅開業50周年紀念式典を挙行する。
1979年(昭和54)8月28日:欅製の駅名標を掲出する。この駅名標富山県議会議員の橋爪辰男による揮毫で、彫刻は八尾町の上野勉が担当し、塗師は柴田幸治がこれを務めた。
1985年(昭和60)3月14日 営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃する。
1987年(昭和62)3月31日 営業範囲を改正し、荷物(新聞紙に限る)の取扱を開始する。
1987年(昭和62)4月1日 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
1993年(平成5)8月20日 駅の西口と東口を結ぶ跨線橋町道八尾駅東西線』(延長84m)が完成。
2002年(平成14)7月23日 みどりの窓口を開設する。